少し、言い訳。

大体3ヶ月くらい書評(のようなもの)を書き続けて思うのですけれど、ぼくは文才がかけているかもしれません。
インターネットにある他の書評サイトさんを見ているとよくそう思います。みなさんきちんとしたプロっぽい評価をしてますし、語彙も多いです。(文章書いていると、語彙の少なさが身にしみます……)
平均点が高く思えるのは、ネットの特徴で、情報量の多さ、アクセスのしやすさというネットの強みがはたらき、それゆえに強い個性が目立ち、ハードルが上昇するのです。中途半端なものはすぐに淘汰されてしまいます。例えて言うなら、車が普及する前までは、小さな村の中でお店はやっていけるけれど、車が一般化した場合、ちょっと遠くの安くて品揃えのいい大型店に行っちゃう、みたいな。
なので、アクセスをかせごーとすると、よっぽどの何かを持ってないと、険しい道なのです。ゆえに、個人の趣味などを主目的に置く方が、サイトは長持ちするのでしょう。ぼくは一応メモ帳、忘れないための記録作りのためなので、その辺は特に重く考えてないですけど、やっぱりちょこっとは気になります。
少し話を戻して、書評のことについて。どこかであったものですけれど、よい書評とは、それ自体読んでて面白い、価値のあるもなのだそうです。その本の情報を得られれば書評としては成り立ちますけど、よくなるためには、読み物としてそれなりでなければならないのです。それはその人の知識であったり文才であったりデザインセンスだったりするのです。気になった台詞を引用するというのも魅力にはなります。ぼくの場合他が駄目なので、それで少しは補えてるかなーと愚考したり。それでもまだまだ未熟で中途半端ですけどね。
そんなこんなで、書評としてはいまいちかもしれないけれど、これからもがんばろーと思う次第。続けてさえいれば、少しは恥ずかしくないものが書けるようになっていくと信じてます。